和道流空手動連盟

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明治時代

明治25年(1892)6月1日

大塚博紀(ひろのり)は、 大塚徳次郎・サトの嫡男として茨城県下館市に生まれた。
本名 孝(こう)。博紀は後年使い出した武名である。

父:徳次郎は下館市で内科小児科医院を開業しており、たいそう繁盛していたと言う。慈恵院(現慈恵医大)を首席で卒業したその腕と、下館市が県下でも四指に入る大きな町であった事も大いに関係しているであろう。その為、大塚家は大変裕福な家庭であった。
当時、銀行の頭取が月給100円の時代に、徳次郎は1日15円は稼いだと言う

明治30年(1897)

母方の大叔父旧土浦藩の武術師範、江橋長次郎の門に入り柔術の修業に踏み出す。

明治38年(1905)

茨城県立旧制下妻中学に入学、同校の剣術師範でもある 中山辰三郎の道場に入門、本格的な柔術修業(神道揚心流柔術)に入る。

明治43年(1910)

早稲田大学専門部商業学科に入学。

明治43年 ~ 大正3年(1914)

天神真揚流、起倒流など各柔術道場を訪ね歩き、他流試合を重ねながら、柔術の研鑽に励む。