本部朝基

明治3年(1870)首里に生まれる。 泊手の名手・松茂良親雲上興作に師事。本部は俗に「本部サールー【猿】」の異名を取りテイジクン【実戦】武士と呼ばれるほど、カキダミシ【掛け試し(野試合)】に強かった。 また、幾多の野試合で鍛えられたとも言われる。若い頃は闘鶏で賭けをして遊び暮らしいたとも言われ、その詳細はあきらかではない。 また、唐手術の形は「ナイハンチ」しか知らなかったとされるが、これは多分に誇張臭い。 大正14年頃本土に進出。 各地を渡り歩きながら唐手を指導。 大正15年5月「沖縄拳法唐手術【組手編】)を発行。 その内容を見ると、形に対する見識も相当なものがあったとされる。 1流を創始するといった活動は生涯せず、その道統を伝えるものはいないが、大塚をはじめ影響を受けた者は多い。 昭和16年(1941)没。 行年71。