摩文仁賢和

明治22年(1889),摩文仁賢宝の次男として、首里当蔵村に生まれる。幼少のころは相当虚弱だったが、首里手の糸州安恒、那覇手の東恩納寛量の両師範に師事。また新垣派の棒、多和田の釵(サイ)其の他多くの琉球古武術を学ぶ。 沖縄水産学校卒業後、熊本第5師団歩兵第23連隊に入隊。 明治45年除隊後、沖縄県警察学校に入学。那覇警察署勤務。 大正6年(1917)5月、「唐手研究会」を設立。 大正14年(1925)自宅に唐手道場を開き、「唐手研究会」を解散し新たに「唐手研究倶楽部」を発足。大正15年、日本体育協会名誉会長・嘉納冶五郎の来県に際し、唐手術の解説をする。 昭和3年(1928)3月、唐手術普及のため上京。 東洋大学などで指導したが、翌年5月、大阪に移る。 昭和9年(1934)2月、大阪西成区旭南通りに「養秀館道場」を開き、唐手術を指導。 はじめは摩文仁流と称していたが、後に糸州と東恩納の頭の1文字をとって「糸東流」と改める。 昭和14年(1939)、大日本武徳会の唐手術・練士号、昭和17年、達士号の称号を授与された。 昭和27年没、行年63。